長編劇場用アニメーション ちびねこトムの大冒険 公式webサイト:美術監督 小倉宏昌さん:Part-1

「ちびねこトムの大冒険」の世界 by 長編劇場用アニメーション ちびねこトムの大冒険 公式webサイト

美術監督 小倉宏昌さん:Part-1

『王立宇宙軍 オネアミスの翼』、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』など、日本のアニメ史上に残る数々の名作の背景美術を手がけてきた美術監督、小倉宏昌。
クオリティが高い『ちびねこトムの大冒険』の背景画は、どのようにして生み出されたのか――
小倉美術監督が今でも大切に保管されている数々の背景画やイメージ画などの貴重な現物を見せていただきながら、2時間30分以上にも及ぶロング・インタビューとなりました。
『ちびねこトムの大冒険』美術監督 小倉宏昌
◎プロフィール
おぐら・ひろまさ●1954年生まれ。1977年、小林プロダクションに入社、『立体アニメーション 家なき子』の背景よりキャリアをスタートさせる。その後、『宝島』(1978年)、『あしたのジョー2』(1980年)といったTV作品や『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)、『エースをねらえ!』(1979年)、『幻魔大戦』(1983年)などの劇場用作品で背景を担当。1983年に小林プロダクションを退社し、同僚だった大野広司、水谷利春とともにスタジオ風雅を設立。1987年の『王立宇宙軍〜オネアミスの翼』 で初めての美術監督を担当。2007年、株式会社小倉工房を設立。現代日本のアニメ背景美術を代表するクリエイターの1人。
代表作:『機動警察パトレイバー the Movie』(1989年)、『機動警察パトレイバー2 the Movie』(1993年)、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(1995年)、『人狼 JIN-ROH』(1999年)『フリクリ』(2000年)、『イノセンス』(2004年)、『xxxHOLiC』(2006年)、『ストライクウィッチーズ』(2008年)、『BLOOD-C』(2011年)など多数。中村隆太郎監督作品では、本作の他に『神霊狩/GHOST HOUND』(2007年)でも美術監督を務めた。
小倉工房公式サイト http://www.ogura-koubou.co.jp/
美術監督とは?
キャラクターやメカが活躍しドラマが紡がれていくアニメ作品の“世界そのもの”を考え、つくりあげるのが美術監督。
背景画の詳細な設定であり世界観の基盤となる「美術設定」を描き、監督が持つ作品世界のイメージをスタッフ間で共有できるようにする。
また、自らも背景画を描くと共に、背景美術スタッフが描くカットごとの背景画のクオリティ管理を行う。

あの頃は30代前半。元気だったね(笑)

●小倉さんが『ちびねこトムの大冒険』に関わるきっかけからお聞かせください。

トライアングルスタッフ(※1)の浅利(義美)さんから声をかけられたのが、そもそものきっかけ。自分が関わり始めた時には、コンテとか制作の一部は多少進行していたんですよ。それで、当時の原画マンが描いていた原図(※2)や設定とかを元にして、まずイメージボード的なものを描き始めたのかな。

その頃、それまでやってた原画マンとかが、作品から抜けちゃってたんですね。それで、(中村)隆太郎さんと自分と、大橋(学)さんや色指定(※3)の片山(由美子)さんとで進めていったと。
ただ、後半のところはあまりよく覚えていないんですよ。契約期間までにすっきり終わらなくて、少し残っちゃったのかな。そこで、自分の仕事場に持って行って。何かバタバタしてて、残った分を何とかしなきゃみたいな感じで。

●では、制作スタッフを集めたのは、フィルムにはクレジットされていませんが、基本的にはトライアングルスタッフだったんですね?

そのはずだね。(杉並区)西荻の五日市街道沿いで、賃貸マンションをスタジオにして制作してた。元々は住宅用のマンションなので、リビングや洋間に作画机が並んでて、片山さんとか動画検査の大谷(久美子)さんとかがいろいろやってたなぁ。自分は個室というわけじゃないけど、美監部屋みたいなスペースをもらってました。

同じマンションにいくつかフロアを借りてたみたいで、自分たちがいた階が一番上で、下の方の階では、当初“ちびねこ”に携わっていた原画マン達が別の作品を作っていたんじゃなかったかな。飯田馬之介さんとかが来ているとかいう話を聞いたこともあるし(※4)…。

毎日スタジオに通って、集中的にやってたなぁ。そんなに楽じゃなかったような気がする。作画にしてもよく動いているし…。

●本当にびっくりするようなスタッフが集まってますよね。

(制作スタッフリストを見ながら)原画とか本当にそうだね。二木(真希子)さんもいるし。沖浦(啓之)さんがやってたのは知らなかったなぁ。当時は知り合いでも何でもなかったから(注:沖浦啓之氏は、小倉さんが美術監督を務めた『人狼 JIN-ROH』の監督)。まあ、作画の打ち合わせに立ち会うことなんかほとんどないからね。

●エンディングのスタッフクレジットを見ていると、まず作画陣で「おおっ?!」となるんですね。そして、その後に来る背景美術のクレジットでガツンとやられる(笑)。今の目で見ると、特にそう感じる部分もありますけど、思わず「何だ、このメンバーは?!」って言ってしまうような豪華なスタッフですよね。

神山(健治)君は、今じゃ“監督”だしね。スタジオ風雅(※プロフィール欄参照)にいた時だね。風雅にも出してたのかなぁ? 一応後輩になるんだよね(笑)。渋谷(幸弘)さんは1人で参加したんじゃなくて、石垣プロダクション(※5)さんの何人かでやってたのかもしれない。平城(徳浩)君はまだ背景を描いていた時だね。今は描かなくなったけど…。串田(達也)君は今でも描いてるけどね(※6)。

 

●この頃は、小倉さんはもう風雅からは独立されていたんですか?

そう、1人でやってた。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)が終わってすぐ風雅を辞めちゃったのね。押井(守)さんの『トワイライトQ 迷宮物件 FILE538』(1987年)をやりたくて。
当時、風雅はこれはやりたくないって言ってたんだけど、自分はやりたかったから辞めちゃった(笑)。
それで、“迷宮物件“が終わった後に『機動警察パトレイバー』のOVA(注:現在「アーリーデイズ」と称されている1988年制作の初期シリーズ)があって…」

●風雅から独立されて、年齢的にも30代…

前半だった。元気だったね(笑)。

●『ちびねこトムの大冒険』の完成は1992年とされていますが、実制作にはかなりの時間がかかってますから…実質的な制作期間は、時期的に見ると『機動警察パトレイバー the Movie』(1989年)あたりとかぶる感じなんですかね? そういえば『ふしぎの海のナディア』(1990年)もこの頃ですね。

“ナディア”は最後の方だけだった(第34〜39話で美術監督)。“ちびねこ”に関わったのは“パトレイバー”が終わってからかなぁ…。

当時、劇場版の背景の仕事は半年くらいで終わらないといけなかったんだけど、長かったよ。春から夏…そんなに長くやってたかな。それでも夏場の暑い時にやってた記憶もあるし、1年はかけてないとは思うけど、その翌年になるくらいまでやってたんじゃないかなぁ」

●それでは、この作品は、通常の劇場版よりも長く関わった作品ということになるんですか?

自分が入ってからは、後半までは割と集中的に進んでいたと思うんだよね、確か。ただ、最後のところは、自分の仕事場に持ち帰ってやってたのかなぁ。
今こうして背景画とかが自分の手元にあるってことは、多分その資料として持ち帰ったからだと思うんですよ。よほど気に入ったもの以外は制作会社に置きっ放しで、その後どうなるかなんてわからないのが、当時は当たり前だったから。セル画なんて産業廃棄物扱いだったしね。

●中村監督とは、『ちびねこトムの大冒険』の時が、初対面だったんですか?

そうだったんじゃないかなぁ…その前に何かやってたかな?

●1970年代から80年代にかけての出崎統監督作品で、中村さんの原画のレイアウトで小倉さんが背景描いて…なんてこともあったんじゃないかと、勝手に妄想していたんですけど(笑)。

自分が小林プロダクション(※7)にいた頃に、中村さんはマッドハウスにいたのかな? だから初対面とは言っても、名前は何となく覚えていて、いろんな作品の打ち上げとかで顔も多少なりとも見知ってて。
特別話をした記憶はなかったんだけど、全然知らないわけでもなかったから、“ちびねこ”をやる時は“あ、どうも”みたいな感じだったんだよね。

●お2人のキャリアからすれば、全くの知らない仲ではないんですよね。そういえば、トライアングルスタッフの浅利さんは、確か元々はマッドハウスの方だと思うんですが…?

そうそう。浅利さんとはマッドハウスで知り合って。浅利さんは、元々サンリオにいたんでしょ? “ユニコ2”(『ユニコ魔法の島へ』(1983年)) の時にサンリオからマッドハウスに出向してきてて。で、同時に『幻魔大戦』(1983年)をやってた(※8)。
その時期がちょうど自分が小林プロを辞めた頃で、先輩の男鹿(和雄)さんが『幻魔大戦』、青木(勝志)さんが“ユニコ2”をやってたので、2つの作品でお手伝いをしてたんです。その後に少しだけ石垣プロでお世話になってから、風雅に…という感じ。

『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の話は、浅利さんから電話があったんですよ。美術監督を探していると。それで、面白そうなので話を聞こうということになって。岡田(斗司夫)さんとかプロデューサーの井上(博明)さんとかが風雅に来て、こういうのを作ろうとしてるんですけど―っていう話になって、それで受けることになったんです。

●当時のガイナックスはまだ設立したばかり(注:ガイナックスの設立は1984年)で、会社としてのこれといった実績はまだない頃ですから、正直海の物とも山のものともわからないような…

何だかわからなかったよ(笑)。“何なんだろう、この人たちは?”って感じで。
当時はガイナックスが高田馬場に事務所を構えていた頃で、そこで風雅からの出向という形でイメージボードを描いたりしていた。そこに行ったら、みんな学生みたいで(笑)。みんな知り合い同士みたいなんだけど、こっちは誰が何だかちっともわからない。

DAICON(※9)は以前に会社で見てて、“これを素人が作れるんだ、すごいな”とは思ってたんだけど、この人たちがそうだったんだっていうのは、後で知ったんですよ。それで実写の『帰ってきたウルトラマン』とか見たら、庵野(秀明)がいるわけじゃない?(笑)。ああ、この人たちだったんだぁって。
あとで聞いたら、“王立”はどうやら、小林(七郎)さんや椋尾(篁)さんに発注したんだけど断られたらしくて。そこから浅利さんにどういう経緯で話があったのかはよく知らないんだけど。

それで“王立”やって、風雅を辞めて、『迷宮物件』あたりをやってる時に、浅利さんから、自分で会社作ってこんな作品作るんだっていう話を聞いて、“ちびねこ”に関わることになったんです。

※1 本作品の実制作を取り仕切ったアニメ制作会社だが、作品上にクレジットはない。浅利義美を代表として1987年に設立され、2000年末頃に制作事業を停止するまでに、OVA『マクロスプラス』(1994−1995年)など数々の作品を制作。また、『ユンカース・カム・ヒア メモリーズ・オブ・ユー』(OVA。1994年)『serial experiments lain』(1998年)、『COLORFUL』(1999年)といった中村隆太郎監督作品の制作会社でもある。

※2 原画を担当するアニメーターは、動画の元となる「原画」の他に、担当カットでのキャラクターやメカなどと背景の位置関係を表す「レイアウト(原図)」を描く。背景美術スタッフはそのレイアウトを元に、カットごとの背景画を描く。

※3 アニメーターが作画した動画は、彩色(仕上げ)スタッフによって着色される。この時、カット単位でどのような色を付けるかを指定するのが「色指定」。そして、その色指定の基準となるキャラクターの基本配色や作品全体の色味を決めるのが「色彩設計」。TVシリーズなどで複数の彩色会社が仕上げを担当する場合などは、それぞれを別のスタッフが担当することもあるが、劇場版やOVAなどの単発作品では1人で両方を担当するケースも少なくない。ちなみに、『ちびねこトムの大冒険』の場合は、片山由美子氏が「色彩設計」と「色指定」の両方でクレジットされている。

※4 トライアングルスタッフ制作の『CBキャラ 永井豪ワールド』(1990年)で故・飯田馬之介(当時:つとむ)氏が監督を務めているが、それが小倉美術監督の言う「別の作品」であるかは現時点では未確認。

※5 渋谷幸弘(『名探偵コナン』(TV版、劇場版)、『夏目友人帳』シリーズの美術監督)が在籍しているアニメ背景美術会社。同社代表の石垣努氏は、小倉美術監督と同じく小林プロダクション出身のベテラン美術監督で、近年では『犬夜叉』の劇場版での美術監督など。『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(2011年)では、アート・アドバイザーを務めている。

※6 平城徳浩:『新世紀エヴァンゲリオン』(TV版、劇場版)や『天元突破グレンラガン』 (2007)ゲーム『テイルズオブデスティニー』(2006、PS2版)など、アニメやゲームの背景美術を数多く手がける(株)美峰の代表。串田達也:美峰に在籍しており、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』(序:2007、破:2009)などの作品で美術監督を務めている。

※7 アニメ背景制作会社。設立者の小林七郎氏は、『ガンバの冒険』(1975年)、『宝島』(1978年)、『あしたのジョー2』(1981年)などの出崎統監督作品をはじめ、『ど根性ガエル』(1972年)、『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(1984年)、『少女革命ウテナ』(1997年)、『のだめカンタービレ』シリーズ(2007〜2010年)、『探偵オペラ ミルキィホームズ』(2010年)など、数多くの作品で美術監督を歴任したアニメ背景美術界の重鎮の1人。また、小倉美術監督をはじめ、男鹿和雄氏、石垣努氏、水谷利春氏、大野広司氏など、現在第一線で活躍する多くの美術監督を輩出した。2011年2月解散。

※8 『ユニコ魔法の島へ』の制作はサンリオ。『幻魔大戦』は角川春樹事務所作品(公開当時のクレジットによる)。両作品共にマッドハウスは“制作協力”とクレジットされているが、実質的にアニメ制作のほとんどを手掛けたと言っても過言ではない。

※9 日本SF大会「DAICON3」(1981年)と「DAICON4」(1983年)のオープニングアニメーション。後にガイナックスを設立する岡田斗司夫、武田康廣、赤井孝美、山賀博之、庵野秀明(4では前田真宏や貞本義行も参加)らの各氏が学生時代に手がけた。アマチュア作品ながら、当時のアニメ専門誌「アニメック」で取り上げられるやファンの間で話題となり、東京で上映会が開かれたりもした。なお、この後の話に出てくる『帰ってきたウルトラマン』は、「DAICON3」の後に設立されたDAICON FILM制作による実写作品で、若き日の庵野秀明氏がウルトラマン役で出演している。

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