長編劇場用アニメーション ちびねこトムの大冒険 公式webサイト:キャラクターデザイン・総作画監督 大橋学さん:PART-1

「ちびねこトムの大冒険」の世界 by 長編劇場用アニメーション ちびねこトムの大冒険 公式webサイト

キャラクターデザイン・総作画監督 大橋学さん:PART-1

1枚の動画用紙に描かれた絵は、それ1枚だけでは動かない。
しかし、その1枚の絵から間違いなく「動き」を感じてしまう時、アニメーターとは、まさに動かないものに魂(anima)を与える人なんだと改めて実感する−
TVアニメの黎明期から現在に至るまで、数々の名作にその名を刻み、今もなお後進のアニメ制作者たちから尊敬され続けているアニメーター・大橋学。
20年の時を越えて大切に保管されていた1冊の分厚いファイルの中には、大橋作画監督が『ちびねこトムの大冒険』に込めた熱い思いが、あふれ出すほどに詰め込まれていた。
『ちびねこトムの大冒険』キャラクターデザイン・総作画監督 大橋学

◎プロフィール
おおはし・まなぶ●1949年生まれ。栃木県出身。15歳で東映動画にアニメーターとして入社。以後、東映動画テレビ班、マッドハウス、スタジオあんなぷるなどを経て、現在フリー。TVアニメの黎明期から現在に至るまで、第一線で活躍し続け、2014年でアニメーター生活50周年を迎えるベテランアニメーター。
アニメーターとして、数多くの名作で原画やレイアウトを担当する他、キャラクターデザイナー、監督としても、多くの作品を手掛けてきた現代アニメ界の「匠」の1人。

代表作:『まんが世界昔ばなし』(1976年 各話担当 演出・キャラクター・作画・美術など)、『立体アニメーション 家なき子』(1977年 画面設定)、『宝島』(1978年 原画、オープニング&エンディング) 『あしたのジョー2』(1980年TV版、1981年劇場版)、『グリム童話 金の鳥』(1984年 キャラクターデザイン・作画監督)、『CLOUD』(1987年 監督・シナリオ・キャラクターデザイン・原画・美術 OVA『ロボットカーニバル』のオムニバスの一編。筆名のマオラムドで参加)、『ユンカース・カム・ヒア』(1995年 スペシャルアニメーター)、『たまゆら』(レイアウト監修 原画 作中イラスト)その他多数。また、中村隆太郎監督作品では『グスコーブドリの伝説』(1994年)で原画を、また中村監督がアニメーションパートの演出を担当したゲーム『ポポロクロイス物語』(1996年)では、ゲームパートアニメーション パターンとムービーイラストを担当している。
Twitter公式アカウント:@MaoCloud(https://twitter.com/MaoCloud
アトリエCLOUD URL:http://www.maocloud.net/

作画監督とは?
一言で言えば「アニメーション作画(背景を除く)の総責任者」。日本のアニメ制作の現場では、キャラクター単位ではなく、シーンやカット単位で原画(※1)を担当するアニメーター(原画マンとも呼ばれる)が細かく割り振られることが多いため、1本の作品内でのキャラクターの絵柄の統一性が保ちにくくなる。作画監督の主な仕事は、その原画マンたちが描いたレイアウト(※2)や原画に修正を加えて、絵柄や動きなどの統一性を保つことであり、アニメーターとしての経験と技量が要求される。また、作画監督自らが原画やレイアウトを描くことも少なくない。

みんなで一度作ったものを壊して、またみんなで作り上げた

これね、このままの状態で20年くらい眠ってます。その間、自分でもほぼ見てないです。入れられるだけ入れようってことで、この大きなファイルを買ってきて入れたんですね。詰まり過ぎるくらい詰まってて…

●うわぁぁ…!! これはすごいですね!

ストーリーボードとかもあるんじゃないかなぁ。コピーしたものが多いけど、生の絵もあります。これ、何でこうやってきっちり取ってあるかっていうと、第2弾を作ろうよっていう話があって、次にまた描かなくちゃっていうのがあったんで。
(中村)隆太郎君とも話してたんだよ(笑)。
とにかくレオニスが宇宙に行ったんだから、宇宙編を作ろうよって言ってたんだけど、制作(会社)が崩壊しちゃったので(笑)。


大橋さん所蔵の『ちびねこトムの大冒険』ファイル。
この中に作品の歴史がパンパンに詰まっている。

とにかく作りたいというのはあったんです。なので大体取ってありますよ。修正やらキャラ表やら。
これを描き終えた後にはさ、パート2やりたくなるよね(笑)。だって、手が描き慣れちゃってたから、パート2をやりたかったですよ。


●そもそも大橋さんが、この作品に携わるきっかけは何だったんですか?

元々は、英語の教材企画のビデオシリーズだったんですよ。それで、そのオープニングを作るというあたりから、トムの仕事が始まったんですね。
その頃、ちょうど『はれときどきぶた』や『おばけうんどうかい』※3といったオープロダクションの仕事もやっていて。『はれときどきぶた』にはトライアングルスタッフの浅利(義美)さんもプロデューサーの1人として参加していたりしてね。そのあたりの流れもあって、声がかかったっていう感じですね。

●トムたちメインキャラクターのキャラクターデザインは、初めから大橋さんが?

いや、最初はまず(中村)隆太郎君のイメージスケッチがあって。ちょっと野暮ったくて(笑)、トムもネコというよりも何だかクマみたいな感じで、等身もぬいぐるみみたいな感じでしたね。その頃から帽子はかぶってましたね。ジョー(『あしたのジョー』の主人公・矢吹丈)と同じ帽子(笑)。それから吊りズボンもこの当時からですね。ただ、体型はあまり定まっていなかった。
それで、これが、そのオープニングとエンディング用にデザインしたものですね。


▲企画初期のトムのキャラクターデザイン

最初はその教材を作るっていうことだったんですね。それで、4本分のビデオシリーズのストーリーと絵コンテができたんですよ。
このあたりのストーリーボードはその頃のもので、本当は画用紙にコピーしたものに色が着いてるんですよ。こういうボードを、原画の作業に入る前に書いていたんですよね。まだどうしようかっていうプランニングの段階で。このボードなんか、4本足で走ってますしね。

そのうち、それを長編にしようという企画が持ち上がって。それで、その4本の短編の設定とかをベースにして、最初のシナリオと絵コンテができたんですね。その時の企画書がこれですね。鳥族もこんな感じで、レオニスも"力石"じゃなくて。表紙と中の絵は隆太郎君が描きおろしてますね。


ところが、そのシナリオをもう一度作り直すことになって。中村監督と自分と当時スタジオにいた原画スタッフあたりが中心となって、ひたすらディスカッションして、イメージを出し合って、練り直したんです。その頃は、同じスタジオに森本(晃司 ※4さんもいてね。ネオグルトのシーンに出てくるボンバーズ(ネオグルトの不良グループ)とかで相当アイディアを出していましたね。ブーツとか結構細かく描いてたんだよね。それを略してこんな感じになった。(ボンバーズのキャラクター表を見ながら)このキャラとかは、森本スタイルかなぁ。

●実を言うと、前回の小倉美術監督のインタビューの時に「最初の頃は、森本さんがいた」というお話は伺っていたんですね。それで、大橋さんにもこのお話は改めてお伺いしようと思ってはいたんです。
ところで、これって書いちゃっても大丈夫なんですか?!(笑)

もういいんじゃないんですか。20年の歳月が経ってれば何書いても(笑)。「あ、そういえばそんなことありましたね」ってくらいだと思うよ、話しても。「そんなことあったね」って。

そのうちに、森本さんたちは、その頃同じスタジオで作っていた『とべ!くじらのピーク』※5の方に移ったんですね。
なので、同じスタジオの中で、こっちは“ちびねこトム”で、あっちは“くじらのピーク“って感じに分かれて。森本さんは、たしかあれが2本目の監督作品だったと思うんだけど(注:1本目は『ロボットカーニバル』内の短編『フランケンの歯車』)、やはりそちらに力入れるよね。
その後に、東海林(真一)さんや入好(さとる)さんたちが入ってきたんです。

●このピント山のボードのところなんて、ほぼ本編の画面そのままですよね。

使ってくれたみたいだね。これなんか、まるで『未知との遭遇』(注:1977年のスティーブン・スピルバーグ監督作品)みたいだけど(笑)。

●あ、やっぱりそうだったんですか(笑)。観ていて、似ているなぁとは思ってはいたんですけど。

これなんかもう…堂々とパロったって感じですよ。レオニスのキャラ表にも"力石"って書いちゃったし。どっからも異存は出ないし、監督からも異存が出ないしって感じで。
まあ、とにかくそんな感じで、原画マンだけじゃなくスタジオにいたみんなに「アイディア募集します!」って声かけたりして、いろいろアイディアを出し合ったんです。だから、プランニングの段階からいろいろな試行錯誤がありました。


 

▲バスの秘密基地から光るピント山を観ているシーンのイメージボードと実際の画面。

※1 アニメの作画は、大きく「原画」と「動画」とに作業工程が分かれる。ある一連の動きがあるとした場合、その動きのキーポイントとなる絵を原画、その原画と原画の間をつなぐ絵を動画と呼ぶ。

※2 レイアウトとは、カットごとの画面構成のこと。キャラクターや背景などが画面内にどう配置されるかを、動画用紙と同寸のレイアウト用紙に描く。

※3 『はれときどきぶた』と『おばけうんどうかい』(共に1988年)は、矢玉四郎の児童書が原作。大橋作画監督は、前者ではスペシャルアニメーション・原画、後者ではタイトルアニメーションの原画で参加。また、前者のエンディング『ぷわぷわるー』を広谷順子が歌っているなど、『ちびねこトムの大冒険』に携わったスタッフが両作品にも多く参加している。

※4 アニメーション監督/映像作家/ヴィジュアルクリエイター/アートディレクター。中村監督や大橋作画監督らが所属していたマッドハウスで、アニメーターとしてキャリアをスタート。その後のスタジオあんなぷるでも、設立当時から中村監督らと共に所属した。その後、1989年のSTUDIO4℃の創設にメインクリエーターとして携わり、そこを基点として長年活動を展開。2011年からは、STUDIO4℃から基点を離れ、少数精鋭のクリエィティブチーム"Φphy"を主宰している。
公式サイト●http://www.kojimorimoto.com/

※5 『ちびねこトムの大冒険』と同じ制作会社による1991年劇場用作品。『ちびねこトムの大冒険』に参加した多くのスタッフが、この作品にも参加している。

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